8月11日(金)山の日・・・

公開日 2017年08月11日(Fri)

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 8月11日(金)今日は「山の日」なんだそうです。肝付町からは,牧之原同様桜島を直接見ることはできません。サツマイモ畑の向こうに見える山は,肝付町後田のシンボル(?)愛宕山です。幼い頃,祖父に明治維新で活躍した薩摩の人々の活躍を散々聞かされ,鹿児島のシンボルが桜島であると教えられました。桜島は日常見ることができないわけですが,それは鹿屋市にある高隈連山のせいです。それで,私は随分長い間高隈山のことを桜島だと思い込んでいました。桜島が噴火して煙がもくもくと上がると,特に冬場はその煙が高隈山の上空を流れてきます。その様は,あたかも高隈山が噴火したように見えたのです。ある時,あれは桜島ではなく高隈山だと教えられ,ひどく落胆し,高隈山が疎ましく思われました。でも,高隈山があるお陰で,鹿屋市や肝付町に降る桜島の灰はかなり少なくなっているはずです。高隈山がなければ,きっと冬の間は今よりずっと桜島の灰に苦しめられることになるでしょう。高隈山は鹿屋市のシンボルなのです。その高隈山はここ数日薄曇りが続き,肝付町後田からは殆ど見えません。

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 裏山も台風のせいで,おそらく木や竹があちこち倒れていることでしょう。老犬も近頃は裏山に登ることもなくなったようです。裏山には,間違いなく猿や狸,猪など,老犬の敵がたくさんいます。でも,一番の敵はダニのようです。近頃は身体にダニを付けて,帰ってくることは殆どなくなりました。彼の行動範囲は,家の縁側周辺に限られ,時折畑におしっこやうんちに行くぐらいです・・・。

 『老犬コロの繰り言その25』です。老犬は時折縁側から出て来て,家の中にいるこちらをじっと見つめることがあります。おそらくじっと見ていたら,おやつが貰えると思っているのでしょう。余程のことがない限り,鳴いて催促することはありません。近頃は特に声を出すことが少なくなったように思います。大変いい傾向ではありますが・・・。

 
老犬コロの繰り言その25
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 旦那はおそらく人間の中でもちょっといかれた方ではないかと思うのじゃ。最近部屋の大移動を始めよったが,夥しい数のプラスチック・ケースを近所の小中学生を呼んで運ばせておった。プラスチック・ケースの中身はCDというものらしい。数千枚のCDを昔蚕の桑の葉の貯蔵庫だった小屋に並べて乙に入っていやがる。もともとその小屋は子どもたちの部屋として改修し,子どもたちがいなくなったら,奥様が家庭教師部屋として使っていたものじゃ。そこを今度は旦那が占領したわけである。

 「お前はブラームスは好きか?」とか「お前らの中にはモーツァルトはいないだろ。人間の世界にはモーツァルトがいたんだ。だから,人間は素晴らしいのさ。」と訳の分からないことを言う。わしだって,多少は音楽の心得はあるのじゃ。最近はもう飽きてしまってやめたが,若い頃は3時や5時の町が流す音楽に合わせて歌ったものじゃ。ふん,じゃけども,そんなに音楽ってのは素晴らしいものなのか?数千枚CDを持っていても,いつそんだけの音楽を聞くんじゃよ。まだ,封も開けていないものが100枚以上あるかもしれない,とうそぶいていやがる。挙げ句の果てには,「100歳まで生きたって足りないな。もっともっと時間が欲しい。」と愚にも付かないことをぬかしやがる。昔アインシュタインとかいう偉い人が,「あなたにとって死とは何ですか。」と聞かれ,「モーツァルトを聴けなくなることです。」と答えたそうじゃ(もちろん旦那の受け売り・・・)が,旦那もそんな大それたことをそのうち言い出すんじゃろ。まあ,好きにするがいいさ。わしにとっては,「死」とは「視察に行けなくなること」じゃ。何らかの崇高な目的があって人(犬?)は生きているものじゃ。その目的とは人(犬?)それぞれなんじゃろが,どうせ生きるのであれば,しっかり前を向いて生きていきたいものじゃ。それにしても,音楽にうつつを抜かす旦那の生き方はよく分からん。視察のお伴の方がずっと大事じゃろうに・・・。

 この続きはまたの機会に・・・。じゃ・・・。