4月30日(月)振替休日・・・

公開日 2018年04月30日(Mon)

 4月30日(月)ついに4月最後の日を迎えました。この1か月はやはり多くの人にとって,長い長い1月だったろうと思います。振替休日のこの日は,例によって,インターネットが活躍します。「図書館記念日」なんだそうです。「サン・ジョルディの日」(4月23日)の1週間後ですが,殆ど両者には関係はないようです。漱石の合間に坂口安吾を読んでいます。「堕落論」を中心としたエッセー集みたいなものですが,読み応えがあります。15年ほど前,ある高校に勤務している時,ある3年生が安吾の「堕落論」で感想文を書き,物凄い賞を貰っていたのを思い出します。確か東京まで授賞式に行き,学校賞として文庫本全集みたいな副賞も貰ってきたと記憶しています。多分今も図書館にはそのセットは置いてあるでしょう。その時,安吾の「堕落論」は読む気も起こらなかったのですが,今ようやく当時の高3の彼に追い着いた気分です。いやまだ追い着いていない・・・。まだ安吾の「堕落論」に対する自分の思いを整理できていません。評論とか,人生論めいた本は殆ど読まないのですが,「白痴」を初めとする短編は間違いなく傑作ですし,自分自身まだよく分かっていないという点を含めて,坂口安吾は間違いなく20世紀最大の知性の一人なんだろうと思います・・・。

 また,今日はヨーロッパに伝わる「聖ヴァルプルギスの夜」の日なんだそうです。ゲーテの「ファウスト」やベルリオーズの幻想交響曲にも出てくるおどろおどろした世界です。これが,イギリスに伝わり,行く行くはハリー・ポッターのようなものが誕生するんだろうと思います。むしろ今日では,おどろおどろした世界はイギリスが中心のような気がします。やはり,古来からのケルト人の伝統なんでしょう。随分乱暴な物言いですけど・・・。

 『老犬コロの繰り言その100』です。やりました。どんなにくだらないことでも,長いこと続けるってのは立派なことだと思います。自画自賛てやつです。老犬も多分喜んでくれているのだろうと思います。本当の老犬は,『繰り言』の老犬と異なり,慎ましく従順なのです。カメラマンがどんなに嫌っても,老犬はカメラマンのことが大好きなんだろうと思います。いや,舎弟ぐらいにしか思っていないか・・・。老犬の食欲が戻りつつあります。見事な回復ぶりです。

 
老犬コロの繰り言その100
P1080580

 確かに,旦那は犬は好きじゃないんじゃろう。旦那は自分に対して従順に振るまい,常に後ろをついて回られるのが嫌なんじゃ。わしが子どもの頃,旦那は殆ど何も教えてくれなかったのは,前にも話した通りじゃ。「お手」や「お座り」を教えてくれたのは,爺さん婆さんや子どもたちじゃった。ある時,旦那が気紛れにわしに「伏せ」を教えようとして,無理矢理わしを上から押さえつけようとした時,わしは旦那の手に嚙み付いてやったんじゃ。旦那のやり方はおよそ教育者とは思えない。旦那は躾けようとしたのではなく,いつも立ってばかりだから,地面に腹這いになることを教えたかったようじゃ。じゃが,わしは旦那が傍にいる時は,暢気に寝そべってなどおれないのじゃ。視察かおやつしか頭にないからのお。じゃから,結局わしは旦那から教わったものは何にもないのじゃ。旦那はわしが旦那の顔を嘗めるのも嫌うんじゃ。子どもの頃,旦那にしこたま怒られたことがある。以来わしは旦那の顔を嘗めたことが一度もないのじゃ。唯一の愛情表現なんじゃがのお。子どもたちの方は嘗めさせてくれるから,いつも嘗めてあげてたんじゃが・・・。わしが窓の外から,部屋の中にいる旦那の様子をじっと窺っておると,旦那はツツジの花や山の方を見なさいと言う。あほか!わしらは花を愛でたり,森を愛する心なんか持ち合わせておらんのじゃ。花なんて言うのは,やつらが生き延びるためのトラップに過ぎんのじゃ。森も一見穏やかで安らぎを与えてくれそうに見えるが,実際には危険に満ち溢れておるんじゃ。犬の天敵猿や猪がうじゃうじゃおるし,狸もこちらを窺っておる。まあ,狸には勝てる・・・。いや勝ったことがあるんじゃ・・・。山蛭だっておるし,ダニもおる。山なんか見ていると,ぞっとするんじゃ。

 わしが旦那をじっと見つめておるのは,視察とおやつがねらいなんじゃ。それ以外には,わしには楽しみがないのじゃ。先日の一件があって以来,わしの楽しみはせいぜい庭を歩き回るのと,そう,食うことしかないんじゃ。じゃが,庭を歩いていると,すぐに後ろ足がふらついて来る・・・。下りはまだいいが,上りはきつい・・・。下ったら最後,どこかでまた上らないといけない。どうなっとるんじゃ,地球は。一周したら,また元の所に戻って来られるらしいじゃねえか。ふ・・・,そんなに歩けねえよ・・・。『繰り言その100』か・・・。何か景気のいい話ねえかな・・・。いろいろ災難はあるけど,わしは生きておる。旦那もわしを見捨てない。Pity is akin to love. じゃ。いかん,つい知性がこぼれ落ちてしまう。旦那が「三四郎」で読んでたやつじゃ。かわいそうってのは,惚れたってことよ・・・。Stray sheep, stray sheep....

 この続きはまたの機会に・・・。じゃ・・・。