公開日 2017年11月19日(Sun)
11月19日(日)は,1863年アメリカ合衆国第16代大統領エイブラハム・リンカーン(1809-65)があのゲティスバーグの演説を行った日のようです。「人民の,人民による,人民のための政治」という言葉が余りにも有名ですが,わずか2分余りの短い演説だったそうです。そして,アメリカは南北戦争を経て,奴隷解放へと向かいます。あれから150年も経つというのに,アメリカは未だに人種間の摩擦に苦しんでいます。リーカーンもトランプ大統領と同様に共和党所属だったのですが,両者は随分異なるように見えます。今,リンカーンが生きていたら,どのような感想を持つでしょうか・・・。今日はまたシューベルト(1797-1828)の命日でもあります。わずか31年の生涯ですが,歌曲集「冬の旅」や未完成交響曲(第8番,時に第7番とされることも),弦楽四重奏曲第14番「死と乙女」などは人類の至宝と言っていいでしょう。幾分だらだらとした感はありますが,晩年の(と言っても30歳前後・・・)ピアノ・ソナタも素敵です。ベートーヴェンのギリシャ彫刻のようなきっちりとした世界とは異なり,幾分締まりがなく感じられるのですが,幻想的で不思議な気分が味わえ,時間が経つのを忘れさせてくれます。部分的には20世紀の音楽を先取りしているような前衛的に聞こえる瞬間もあります。モーツァルトも35年という短い人生でしたが,シューベルトの方が未完成に感じられる分だけ,さらに長い人生が与えられていたら,音楽史は随分変わったものになっただろうと思われます。シェーンベルクやウェーベルンの出現が早まったかも知れない・・・。以上,晩秋の虚しい空想でした・・・。
『老犬コロの繰り言その50』です。先週の土日は朝夕計4回きっちり予定通り散歩に行ったのに,結局老犬は一度も桜公園までたどり着くことはありませんでした。相変わらず,庭で放していると,ぐるぐる何度も家の周りを歩いたり,藪を捜索したりしているのですけど。庭で歩き疲れているのかな・・・。
老犬コロの繰り言その50 |
---|
わしが黙って道を歩いていると,時々旦那は「たまには笑ったらどうだ?そんなに深刻な顔をしていないで。」と馬鹿なことを言う。別にわしは何か考え込んでいるわけではないのじゃ。そもそもわしらの顔の筋肉は旦那たちみたいに,器用に笑顔なんか作れないのじゃ。わしが笑ったらきっと旦那は腰を抜かすだろうに・・・。一遍笑(わろ)てあげようかのお。わしが怒っているのか,悲しんでいるのか,喜んでいるのか,それくらいはわしの様子を見たら,分かるじゃろ。14年間も見てきておるのじゃから。旦那たちが日曜日の夜,牧之原へ車で向かうとき,それはわしは悲しいんじゃ。地面を俯いているじゃろうに・・・。旦那の顔も絶対に見ないんじゃ。朝旦那がリードとふんキャッチャーと文庫本を手に持って,わしの方にやって来る時は,それはそれは嬉しいんじゃ。大騒ぎして,旦那がリードを付けるやいなや駆け出すじゃろうが・・・。 人間の世界には,能面という言葉があるそうじゃ。全く無表情に見える能面じゃが,旦那が以前2回も見たという「隅田川」では,その能面がとても表情豊かに見えたそうじゃ。オーケストラ,と言っても笛や太鼓程度であるそうじゃが,その音楽に乗って,能面は光の当たり具合もあり,喜怒哀楽を雄弁に表現したそうじゃ。スタティック(静的)な世界と思っていた能が,本当は極めてドラマティックなものであることに旦那は気づかされたのじゃと言う。考えてみたら,当たり前なのじゃ。日常の視覚的な動き以上に,豊かな精神世界というものが存在するものなのじゃ。目に映る世界というのは,この世のほんのごく一部に過ぎない。それよりもはるかに広大な無限の豊穣の世界が心の中にはあるのじゃ。星の王子様が言うたように,大切なものは目に見えないところにあるのじゃ。物事は心の目で見るようにしなければ,本質を見落とすことがあるのじゃ。わしはもう随分前から目も耳も鼻も衰え,主に勘だけで生きておる。周囲を感じる皮膚感覚というか,要するに第六感じゃ。味覚だけはまだまだ衰えてはおらんぞ。と言うか,食い意地と言うか,食欲旺盛ってやつじゃ。食欲の秋なんじゃがのう・・・。(どこが,豊かな精神世界じゃ・・・。(-_-)) この続きはまたの機会に・・・。じゃ・・・。 |