公開日 2017年12月02日(Sat)
12月2日(土)牧之原の住宅街の柿の実は9月を迎えた頃には赤く色付き始めていました。さすがに今では,柿の実もちらほらとしか見られません。ヒヨドリやメジロなどの冬鳥たちが喜んで食したのかも知れません。幼い頃は渋柿を母が焼酎に浸して肥料袋のような,もちろんきれいに洗った物ですが,それに大量に詰めて,冬の間おやつ代わりによく食べたものです。それもそれなりにおいしいものではありましたが,奈良や和歌山などの柿の産地から届く鹿児島の物よりもはるかに巨大な柿のおいしさは格別です。その柿の国内での消費量が落ち込み,香港やタイなどで高級な日本の柿が大人気と本日の夕方のニュースで報じられていました。無類の柿好きとしては,少々複雑な思いです。カメラマンが唯一自ら剥いて食べるのが柿なのです・・・。学生時代神戸で過ごしている時,友人がカキ食いに行こうと言うので,喜んで付いて行くとお好み焼き屋さんに案内します。なるほど,さすが関西だ,お好み焼きにも柿を入れるんだと感心しながら,勢いよく食いつくと予想以上に柔らかい感触に動揺させられました。お好み焼きソースと鰹節,青海苔のせいで,しばらく気が付かなかったのですが,間もなく友人の口から,それが柿ではなくて苦手な海の幸牡蠣であることを知らされます。やはりそうか,さすがに柿はお好み焼きには入れないか・・・余りにもの柿好きのために常識外れの間違いを犯してしまっていたのでした。以来,一度も牡蠣は口にしておりません・・・。
『老犬コロの繰り言その54』です。先週散歩に行けなかったために,土曜日の朝はすっかり諦めていたのか,午前7時を過ぎても老犬は犬小屋の中で丸くなっています。寝顔をカメラに収めると,ようやく眠い目を擦りながら(?)這い出してきました・・・。
老犬コロの繰り言その54 |
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日に日に寒さが増してきて,窓の内側に障子というものが立てられるようになりおった。なかなか旦那たちの室内での様子を窺うことができなくなった。日中になり,日が昇るとようやく障子が開けられ,窓の外に洗濯物が出されるのじゃ。旦那は洗濯はもちろん洗濯物を干すなどという行為は一切やらない。窓から旦那の様子を見ていると,時折にやにやしやがる。スマートフォンやタブレットよりははるかに巨大な四角い板を眺めておるようじゃ。テレビというものらしい。何がそんなに面白いのか,わしにはさっぱり分からんが,人間世界にはいろいろ便利な物があるようじゃ。考えてみると,洗濯などという習慣もわしらには無縁じゃ。わしらは衣服を身につける必要がないんじゃ。夏の暑いときは時折人間のように脱ぎたくもなるが,わしらの毛皮は上等じゃ。汗もかかんから,蒸れることもないんじゃ。人間の生活は実に不便で面倒じゃのう。 テレビの話に戻ろう。旦那は幼い頃からテレビに育てられたのだそうじゃ。当時の大多数の子どもたち同様,旦那は幼稚園にも保育園にも行っていないから,両親と一緒に畑に連れて行かれるか,テレビに齧り付いていたという。おそらく4,5歳くらいからは,畑に行くよりテレビを見ている方が多くなったそうじゃ。昭和40年当時,旦那の家にあったのは,もちろんカラーテレビではなく,白黒で14型程度の非常に小さな,それこそタブレットに毛の生えた程度の大きさだったという。旦那は両親が畑へ出ると,朝8時くらいから12時くらいまでずっとNHK教育テレビを見ていたんじゃ。「昔話」や「働くおじさん」,「のっぽさん」など,殆ど飽きることはなかったそうじゃ。ただし,歌のお兄さんや子どもたちがたくさん出て来て,歌や踊りをする番組は余り興味はなかった。当時から賑やかなのは苦手だったのじゃ。旦那の根暗ぶりは幼い頃から培われたものじゃったのじゃ。小学校入るまで,近所の子どもと遊ぶことは余りなかったようじゃが,一人だけ1歳年上の「せっちゃん」という子がおった。「せつお」君という名か・・・。せっちゃんとはよく当時流行った怪獣ごっこをしていたようじゃが,せっちゃんが小学校へ入学すると遊び相手がいなくなった。やがて,1キロちょっと離れた所へ,つまり今の場所へ旦那の家族は引っ越すことになった。引っ越してからもせっちゃんの帰宅時刻を見計らって,よく遊びに行っていたようじゃが,せっちゃんとは少しずつ疎遠になっていった・・・。 この続きはまたの機会に・・・。じゃ・・・。 |