公開日 2018年01月07日(Sun)
1月7日(日)七草です。芹(せり),薺(なずな),御形(ごぎょう),繁縷(はこべら),仏の座(ほとけのざ),菘(すずな),蘿蔔(すずしろ)。「すずな」はカブで,「すずしろ」は大根です。幼い頃はそんなことはお構いなしに食べていました。我が家では,里芋や蒲鉾,時には餅まで入っていたような気がします。私が育った肝付町後田永野前下では,1月7日には,数えで7歳(満6歳)になると,隣近所7軒の家をお椀を持って回ったものです。すると,各家々の七草粥が少しずつお椀の中に入れられます。ついでに,50円とか100円,お祝いのお金を貰ったりします。昭和40年頃の50円は大金でした。牛乳一瓶200CCか180CCで20円だったように記憶しています。それでも子ども心にはかなり高価に思われたものです。私はまだ7歳になっていないのに,兄の後を付いて,お椀を持って歩くと,近所の人は気前よくお粥とお金をくれたのでした。私は少なくとも2回は七草回りをしているはずですが,本当は3回回ったかも知れません。いや,5歳の年に前下を離れているので,3つ上の兄と一緒に回った1回だけかも知れません。お家(うち)に帰ると,7軒分の七草粥の入ったお椀にぱくりつくのです。細かな味までは記憶にはありませんが,懐かしい,いい思い出です。お正月が終わり,隣近所で聞こえていた子どもたちの声がしなくなりました。誰かお椀を手に持って回って来ないかな・・・。
肝付町の消防団の街中を練り歩く催しは7日の朝のようです。昨日の夕方の町の防災無線で言っていました。幼稚園児たちが消防団の方々と同じ格好をして一緒に歩くのです,多分・・・。
『老犬コロの繰り言その66』です。老犬も年を取ると,人間同様かなり性格が円くなったように思われます。少々のことをしたぐらいでは怒りません。若い頃は,冗談なのか本気なのか,すぐにウーと言ったものですが,今では少々のことをされたぐらいでは平気です。目も耳も悪くなっていますので,気が付かないということもあります。ボールを投げても,取りに行きません。と言うより,どこへ飛んで行ったのか気が付かないのでしょう。食事以外は,自分の周囲に対して,全く無関心なように見えます。そんなことででいいのか!老犬よ!(-_-)
老犬コロの繰り言その66 |
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隣のダックスフントの所の爺さん同様,うちの旦那も入院こそしておらんが,たびたび医者に掛かっておるようじゃ。毎週歯医者に通い,歯周病予防の治療を受けておるらしい。何じゃそりゃ。わしなんぞ,歯も磨いたことはねえぞ。それでも,食う方はちっとも不自由しておらん。歯周病って何じゃそりゃ?そんなこと気にしないといけないのかい。わしらみたいに,健康な食べ物ばかり食っとけばいいんじゃよ。わしのドッグフード,たまにはあげようか?臭くてまずい,味のしないやつじゃ。パンのかけらか粉でも振りかけてもらわないと食えたもんじゃねえ。毎月血圧下げるために内科にも通っておるそうじゃねえか。何じゃいそりゃ。血圧って,一体何なんだ?そんな細かいことまで気にして長生きしてえのかい。ひょっとしたら,わしも歯周病気にしたり,血圧をチェックすれば,まだまだ長生きできるんじゃねえか。人間みてえに,70,80まで生きられるんじゃ・・・。いや,それじゃあ妖怪じゃな。今さらじたばたすることもねえじゃろ。わしはもっと美しく生きるんじゃ。自然に任せるのが一番じゃ・・・。わしはもう悟りの境地に達しておる。旦那もじたばたするのはよせ。 年の初めには,親戚一同長老のお祖父さん,お祖母さんの家に集まるという行事も昔はあったようじゃ。旦那もお袋さんが存命中はお袋さんの実家によく出向いたようじゃ。すると,子どもの頃はそこで親戚の叔父さん,叔母さんたちからお年玉というものが貰えたと言う。お金じゃ。じゃから,親戚参りは子どもにとってこんな楽しいものはないというものだったのじゃ。根暗の旦那でさえ,喜んで爺さんや婆さんの家を訪ねていたのじゃ。じゃが,今ではそのような風習は次第に少なくなりつつあるようじゃ。お袋さんたちの世代が次から次に亡くなっていき,親戚の家に集まるということがなくなったようなのじゃ。旦那の家の子どもたちも正月は二男が帰ってきただけじゃった。この家の子どもたちは一遍には帰って来ないんじゃ。長男は12月,長女は来月2月らしい。お正月が特別なものではなくなってきつつあるということじゃろ。そう言えば,長男は帰ってきたとき,殆どわしの相手をしてくれなかったが,二男は2回も視察に付き合ってくれた。じゃが,2日の早朝には京都へ帰って行きおった・・・。ま,わしには旦那がいるからいいか・・・。週末2日だけじゃけど・・・。 この続きはまたの機会に・・・。じゃ・・・。 |