公開日 2018年03月04日(Sun)
3月4日(日)は,語呂合わせから予想される通り,「ミシンの日」,「サッシの日」,「三線の日」,「雑誌の日」・・・うんざりするくらいいろいろ記念日があります。「バウムクーヘンの日」とか「円の日」と言ったような真面目な由来のある日もあるようです。また,今日は有島武郎 (1878-1923)の誕生日でもあります。「生まれ出づる悩み」と「小さき者へ」が心に深く残っていますが,特に妻を亡くした際に幼い我が子に対するメッセージを綴った「小さき者へ」の印象が強烈です。子どもたちに対してこれからの人生を生きていくための強い心の持ち方を求めつつ,父親として子どもたちの人生に積極的に関わっていこうとする決意が感じられます。それなのに,有島は人妻との心中自殺という残念な人生の幕引きを行い晩節を汚します。小説と人生は切り離して考えるべきなのでしょうが・・・。
それにしても,今日はこの時期としては物凄い暑さになりました。早朝7時から,肝付町後田鳥越集落の清掃奉仕作業が始まったのですが,草刈り機にエンジンを掛けた途端に早くも汗が吹き出し,上着を脱がなければならなくなりました。それ以降も気温はぐんぐん上がり続け,昼過ぎには20度を優に越えてしまいました。春を通り越して一気に初夏に突入したような状態です・・・。
『老犬コロの繰り言その83』です。老犬もたまには身体を洗ってもらうことはあります。6月の暑さを待たなければならないのですが・・・。一度老犬がお腹を壊したためか,お尻に柔らかいウンチを付けたまま庭を歩いていたことがあります。見かねた家人が,大好きなパンをあげ,パンに集中している隙に老犬のお尻にプラスチックのスプレー・ボトルに入れたお湯をかけてあげました。すると,老犬はびっくりして,大好きなパンにもしばらく寄りつかなくなりました。その様子を見て大笑いするしかなかったのですが,老犬のお尻のウンチはまだ一部くっついたままでした・・・。
老犬コロの繰り言その83 |
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垣内春さん(1900-1985)はカトリック教徒で,毎週神父さんが春さんの家を訪ねて来られたのじゃが,その説教の会に旦那を誘うことは一切なかったそうじゃ。教会までなかなか行けない近所の年配の方々が10人前後集まって来られたようじゃが,神父様自身にも旦那はお会いした記憶がないのじゃ。人見知りの激しい旦那は余程のことがない限りは積極的には人前には出なかったのじゃ。ただ,大学2年か3年のクリスマスに阪急甲陽園線の始発の駅である夙川の教会に一度だけ足を運んだことがあった。クリスマスのお祈りが終わった後,ちょっとした出店が出ていたのじゃ。春さんに誘われて,旦那はお祭りであれば知らない人とそれほど話をすることもないじゃろと思ったんじゃ。春さんが食券か何か用意していてくれたのかも知れないが,恩知らずの旦那はその辺りの記憶はなくなっておる。春さんの親戚の旦那よりは年下の男の子と一緒に行ったようじゃが,それが誰じゃったのか旦那はよく覚えていないようじゃ。教会の中庭で比較的狭い空間でのお祭りであったそうじゃが,旦那は食べるものだけ食べると早々に引き上げたということじゃ。モーツァルトやシューベルトなどの教会音楽は大好きであったが,教会そのものには余り関心はなかったのじゃ。 夙川は阪急神戸線の西宮北口から神戸へ向かって一つ目の駅で,谷崎潤一郎の「細雪」にも出てくる閑静な所ということじゃ。夙川から,苦楽園口と甲陽園というたった2つだけの駅しか持たない甲陽園線という線路があるのじゃ。旦那はその2つしかない甲陽園線の終点の甲陽園という所に学生時代住んでおった。多分甲陽園も「細雪」には出てくるのではないじゃろうか。高級住宅街ということじゃが,前にも述べた通り,春さんには悪いが旦那の住んでおったのはそのような立派な屋敷が建ち並ぶ地域の古ぼけたおんぼろ屋敷であったということじゃ。阪神大震災で倒壊したんじゃろ。今はもう平地の駐車場になっておる。旦那はよく甲陽園から夙川までたった2駅分しか距離がないこともあり,よく夙川という川沿いを歩いたということじゃ。今と同じように文庫本片手に気取って歩いて,川面を見つめながら読書に興じたのじゃ。人通りの少ない落ち着いた川岸で,旦那のお気に入りの場所じゃった・・・。 この続きはまたの機会に・・・。じゃ・・・。 |