公開日 2018年03月10日(Sat)
3月10日(土)鶯がかなり上手に鳴くようになってきました。それにしても,この鶯は昨年の5月,6月に鳴いていた鶯と同じ鶯なのでしょうか。そうであれば,もう少し上手に鳴いてもいいはずです。冬の間声を出していなかったので,まだまだ本調子ではないということでしょうか。かつてジャイアンツの松井選手が春のキャンプが始まったばかりの頃は,140キロのボールが打てないと言っていました。ところが,4月の開幕を迎える時には,150キロのボールにも対応できるようになっているのです。鶯の喉の調子もそのようなものなのでしょうか。あるいは,今年生まれたばかりの,まだ嘴の黄色い鶯なのでしょうか。さすがにヒヨコということはないか・・・。少しずつ鶯の囀りは美しくなっていますが,あのうっとりするような歌声まではもう少し時間がかかりそうです。
『老犬コロの繰り言その84』です。老犬の行動範囲はかなり狭くなっていますが,散歩は以前のように桜公園まで歩くことも多くなりました。それでも,いろいろ迷った挙句,桜公園の300メートルほど手前で踵を返すことも少なくありません。体調が比較的良くなってきているのは確かでしょうが・・・。朝などは朝食よりも散歩が優先のようで,こちらの姿を見ると,まず駆けて行こうとします。
老犬コロの繰り言その84 |
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1984年の11月に入ってからのことじゃったと言う。旦那の所に,つまり春さんの家に鹿児島県教育委員会からの通知が届いたのじゃ。教員採用試験の結果じゃ。春さんは旦那の合格を朝夕ずっと神様にお祈りをされておったそうじゃ。旦那は余り自信がなかった。先に郵便受けの中の通知に気付いた旦那は,その通知を握りしめたまま夙川の川原まで歩いたんじゃ。その場で開いて,春さんにすぐに見せる勇気はなかったのじゃ。どうせだめだろうという憂鬱な気持ちを胸に抱きながら,夙川の畔を歩いたのじゃ。いつものようにひっそりと静まり返った所にベンチを見つけ腰を下ろした。通知を開くと,採用の旨が記されておった。旦那は合格した喜びよりも春さんに喜んで貰えるというほっとした気持ちの方が強かったのじゃ。旦那には信じられなかった。仕送りの一切ない学生生活でアルバイトに明け暮れたために,十分な勉強をしていないと感じておったのじゃ。友人たちも旦那のことを合格は無理だろうと話しておったようじゃ。じゃが,春さんの祈りは通じたのじゃ。旦那が教員採用試験に合格できたのは,春さんのお陰じゃったのじゃ。旦那の実力で合格できるはずなどなかったのじゃ。お陰で碌でもない教師が誕生することになったのではなかろうか。神の判断は正しかったのじゃろうか。ま,わしは神などちっとも信じてはおらんが。 春さんはそれはそれは心から喜んでくださったようじゃ。じゃが,一方で旦那が春さんの元を去って行くのを寂しく思っておられたようじゃ。どうせなら,神戸か兵庫県で教師になってくれれば良かったのに・・・。旦那は,教師をするなら鹿児島と決めておったようじゃ。と言うより,年老いていく両親のために鹿児島に帰ろうと思ったのじゃ。鹿児島に帰るには,教師になるのが一番手っ取り早かったということか・・・。いいのだろうか,それで・・・。翌年1985年の3月27日のことじゃったろうか。旦那の大学の卒業式が25日でその翌々日旦那は西宮甲陽園を去り,鹿児島へ帰って行った。春さんがとても寂しそうにしておられ,その時の顔が旦那には忘れられない。春さんの寂しそうに手を振る姿が今でも目に焼き付いておる。旦那は夏休みに8月にまた戻って来ますからと春さんに告げて,笑顔で手を振ったのじゃ。それが春さんとの最後の別れになろうとは思いもしなかった・・・。 この続きはまたの機会に・・・。じゃ・・・。 |