公開日 2018年03月24日(Sat)
3月24日(土)すっかり春めいてまいりました。ここまでは,数週間前に書いておいたものですが,もはや春めくなんてものではありません。桜もすっかり満開を迎えています。鶯とヒヨドリも完全に棲み処を分けていて,鶯の方がやや優勢になってきたようです。相変わらずヒヨドリたちの品のない空気をつんざくような絶叫は力強いものが感じられますが,幾分隅へ追いやられたようにも思われます。いつの間にか梅の花たちもひっそりと静まり返り,いち早く新緑の季節を迎えたようです。そして,待ってましたとばかりに,至る所で桜は満開です。春です。春の到来です。
『老犬コロの繰り言その89』です。老犬は相変わらず庭に立ち尽くしていることが多くなりました。行動範囲はかなり狭まっているのですが,時折家の周囲をぐるぐる歩き回ることはあります。裏庭には直径2,3メートルの生ゴミ用の巨大な穴が掘ってあります。老犬がそのうちその穴に転落するのではないかと,心配して老犬はしばしば紐で繋がれます。先日は老犬の身体がようやく入るぐらいの深さ20センチくらいの小さな側溝に転落して,仰向けになり苦しんでいたそうです。どのようにしてそのような形になったのか・・・。なかなかできる芸当ではないと思われるのですが・・・。そして,実は3日前の春分の日にも老犬は同じように側溝で仰向けになり,幼い子どものような声を出し,まさに泣いていました。やれやれと,抱き起してあげると,照れ隠しのように老犬は庭の向こうの小さな畑へ駆けて行きます。やがて,何事もなかったかのように,いつもの縁側へ戻って来ました・・・。
老犬コロの繰り言その89 |
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人間を見ていて,最近つくづく思うのが,一人一人の個体差が激しいということじゃ。顔つきなどは,わしらにしたって微妙な違いがあるのじゃが,体型に関してはわしらは犬種が同じであれば,それほど違いはないのじゃ。物凄く巨大なチワワなんかいるわけはないし,わしより小さいセントバーナードもおらんじゃろ。じゃが,人間の世界は住んでいる所によって微妙に差があるというか,傾向みたいなものはあるようじゃが,長身の日本人もいれば,背の低いオランダ人だっていないこともないらしい。旦那の所の子どもたちは,気の毒にも全員旦那よりも小さく,身長170センチにも遠く及ばないのじゃ。じゃのに,子どもたちの友人の中には180センチを優に越える人もおるのじゃ。およそ同じ生きものとは思えない。宇宙人が見たら間違いなく別の種類の生き物だと思うじゃろ。「吾輩は猫である」の名もなき猫は,一様の生き物が作れない神の未熟さを指摘しておったようじゃ。多様な物を作るより寸分の違いもなく同じ物を作る方が難しいと言うのじゃ。100年前の明治の頃じゃからのお。今日の見事なオートメーション化された工場を見れば,奴はきっと腰を抜かすじゃろ。完璧に同じ物を大量生産しておるからのお。それはともかく人間だけじゃろう,これだけ多様性があるのは。わしは視力が弱ってきて,地面を見つめることが多くなったのじゃが,冬場はともかく夏になると無数のアリを見かけるのじゃ。奴らは見事に同じ大きさで行き来しており,一度目を離すと,先程のアリを特定するのは絶望的なのじゃ。カラスにしても鳩にしても,成長した奴はまず極端な大きさの違いが見られることはない。定規で丁寧に測定した訳ではないので,完璧にそうかと言われれば,自信はないが,わしがざっと見た感じでは皆同じ大きさじゃ。 人間もドッグフードみたいに同じ餌を同じように与えれば大体わしらと同じように似たような大きさになるんじゃろうか。いや,遺伝というものもあるらしいのじゃ。旦那の子どもたちが小さいのは,旦那も大して大きくないし,奥様も小さい方じゃし,婆さんたちも140センチそこらの人たちだったから,大きくなる要素が遺伝的には全くないのじゃ。じゃが,中には父親も母親もそれほど大きくはないのに,突然巨人が誕生することもあるようじゃ。きっと何世代か前の巨人の遺伝子があるんじゃろう。と言うことは,わしらには巨人の遺伝子はないということじゃろうか。最初から最後までみんな同じ大きさ・・・。名もなき猫に言わせれば,神の偉業じゃろ。やはり,わしらの方が人間よりは上なんじゃ。犬はみんな犬・・・。変に周囲を出し抜いたりしないのじゃ。完璧な社会じゃ・・・。社会と呼べるほど,みんな共同では生活しておらんけども・・・。 この続きはまたの機会に・・・。じゃ・・・。 |