公開日 2018年03月31日(Sat)
3月31日(土)平成29年度最後の日を迎えました。保護者の皆様,地域の皆様,今年1年間福山高校を応援してくださりありがとうございました。平成30年度は,福山高校はさらに力強く,そして華麗に羽ばたいてまいりますので,引き続きご指導ご鞭撻の程,よろしくお願い申し上げます。遠藤丸も2年目を迎え,歌う校長,ピアノを弾く校長がさらに輝きを増すものと思われます。そして,それ以上に福山高校生はさらに輝いてくれるものと期待されます。来年度も福山高校をお見守りください。
さて,平成29年度は,4月1日から本日3月31日に至るまで,完璧に365日間ブログを更新し続けました。ただ,更新するのだけを目的にどうでもいいことを書き連ねた日も多くございました。新年度は装いも新たに(?)さらに格調高いブログをスタートさせたいと思っておりますが・・・。・・・。まずは,今年1年ありがとうございました・・・。m(_ _)m
今日は,我らがパパ・ハイドン Franz Josph Haydn (1732-1809) の生まれた日ということです。モーツァルト Wolfgang Amadeus Mozart (1756-91) とベートーヴェン Ludwig van Beethoven (1770-1827)の少し前に誕生したちょっと陰の薄い人・・・。いや,そんなことはありません。ハイドンは「交響曲の父」であり「弦楽四重奏曲の父」でもあるのです。ハイドンがいなければ,モーツァルトもベートーヴェンも誕生したかどうか定かではありません。恐らくもっと違った音楽家になった可能性があるということです。ハイドンが作ってくれた土台は,2人にとって大変大きなものであったろうと思います。もちろん,ハイドン自身の夥しい数の作品群もそれはそれは見事なものです。有名な交響曲にしても,モーツァルトやベートーヴェンに比べると,至る所に茶目っ気というかユーモアが散りばめられています。軽い作品一辺倒かと言えば,そうではなく,オラトリオ「天地創造」や「十字架上のキリストの最後の7つの言葉」のように力の籠もったものも少なくありません。数から言えば,交響曲や弦楽四重奏曲に傑作は目白押しですが,ピアノ・ソナタや協奏曲も実にチャーミングな作品たちです。歌劇はモーツァルトと異なり,これからまだまだ研究の余地がありそうです。テレサ・ベルガンサが歌ったアリア集は絶品です。パパ・ハイドン,是非お聴きください。
『老犬コロの繰り言その91』です。土日,休日を埋めるために始まったシリーズでしたが,こんなに続くことになろうとは思いもしませんでした。まず,老犬の身体が持つのかなと心配されましたが,どうにか老犬生きています。足腰や聴力,視力の衰えは如何ともし難いところですが,食欲には全く衰えがありません。本人(本犬?)まだまだ生きるつもりでいるようです・・・。とりあえず,老犬に代わり長いおつきあい御礼申し上げます。4月以降どうなるかはただ今思案中です・・・。
老犬コロの繰り言その91 |
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何?思案中じゃと?なるほど・・・。わしの繰り言が終わってしまうかも知れないということか・・・。じゃが,わしはまだまだ矍鑠たるものだぞ。ところで,最近「G5」という恐ろしい物の話を聞いたぞ。先進5か国財務大臣・中央銀行総裁会議のことではないぞ。いかんいかん,すぐに溢れんばかりの教養がこぼれ落ちてしまう。「G5」とは何やら人間不在で自動で作業を進めることができるシステムのことを言う場合もあるようじゃ。ゲームか何かの世界で使われてきたのじゃろうか。そのうち人間の世界では,人間の労働者は不要になるのかも知れんぞ。全てAIによる機械がしてくれる。機械を操作するごく少数の人間がおれば,事は全部済んでしまうんじゃ。ことによると,操作する人間すらも不要になる・・・。すると大多数の人間は働かなくてすむ,というより仕事がないわけだから,失業,さらには生活保護ということになるんじゃろうか。仕事を持つ一部の特権階級が支配する世界。古代ギリシャとは逆に,働かない貴族ではなく,仕事を手にする人間あるいはAI,機械が支配する世界。新たな封建社会が誕生するんじゃ。ある意味大昔に逆戻りするということか・・・。仕事を持たない人間はわしみたいに虐げられて生きていくのじゃろうか。わしらと違うて,人間はひ弱じゃからのお。仕事を持たない人間の生きる意欲をどうするかが大きな問題になるじゃろ。そこのところをうまく解決しないと,社会不安や暴動が起きるぞ。経済的な問題だけでなく,いかに生きていくか,心のケアが大切になるんじゃ。圧倒的大多数の人間は暇な時間が多くなるから,新たなソクラテスやプラトンが誕生し,新たな哲学が進展するんじゃろうか。ギリシャ時代と異なり,仕事のない非貴族階級が大部分ということになるから,無数のソクラテスやプラトンが誕生するのではなかろうか・・・。 わしらは人間と違うて,精神的に逞しくできておるから,つまらない理屈は要らないんじゃ。人間どもはじたばたしてばかりじゃ。身の程を弁えるということも大切なんじゃ。わしら犬はどこまで行っても犬じゃ。アンパンマンでは,カバやウサギ,おむすびやメロンパンまで言葉を話し,2本脚で立っておるのに,チーズは犬のままじゃ。作者が余程犬に恨みがあるか,そのまんまの犬が大好きかのどちらかだったんじゃろ。多分犬は犬のまんまで完璧な存在ということじゃろ。そうか,わしは「犬」というものなんじゃ。人間は何にでも名前を付ける習性があるようじゃから「犬」なんじゃろ。老犬ということか・・・。やれやれ・・・。 この続きはまたの機会に・・・。じゃ・・・。 |