公開日 2018年03月26日(Mon)
3月26日(月)離任式です。午前9時体育館には,卒業生を含めて大勢の生徒が集まって来ました。今年度は非常勤を含めて14名の先生方が,福山高校を去って行かれます。本日は,常勤の先生方に福山高校と福山高校生に対する思いを語っていただきました。短い方で1年,長い方は10年,福山高校のために尽力してくださいました。体育館の外では,頻りに鶯も鳴いています。離任される先生方へ餞の言葉を贈っているのかもしれません。
地歴公民科の德丸正樹先生は,わずか1年しか勤務されなかったのですが,その存在感たるや絶大なるものがありました。空前絶後のジャスティス先生として南日本新聞の黒ヂョカもに登場しました。德丸先生は,福山高校の校訓「勉学・規律・貢献」が好きだと言われます。特に,3番目の貢献というのが素晴らしい,自分の人生の時間の一部を他の人のために捧げるのは素晴らしいことだ,そのような福山高校生であって欲しい・・・。德丸先生の最後のメッセージを福山高校生たちはしっかりと受け止めてくれたと思います。4月からは明桜館高校で,新規採用教員として新たなスタートを切られます。
理科の上屋敷聡先生は,サッカー部顧問として,そして今年は生徒会係として立派な仕事をしていただきました。わずか2年という勤務になってしまいましたが,こちらも強力な戦力を福山高校は失うことになります。上屋敷先生は,4月からは鹿児島第一高校に勤務されます。同じ霧島市内の高校で,これからも福山高校の生徒たちの様子を気遣ってくださることでしょう。福山高校の生徒たちと,国分市街地のコンビニエンス・ストアなどで会うのを楽しみにしているというお話です。生徒会の係として積極的に取り組まれ,まだまだ力を発揮していただけると思われただけに,今回の異動は福山高校にとって痛恨の至りです。鹿児島第一高校でさらに力を発揮されることでしょう。
保健体育科の岸尾尚輝先生は,牧之原養護学校に原籍はあり,3年間の交流で福山高校に勤務されました。保健主任に加えて,3年目の今年は生徒指導主任まで務めていただきました。4月から牧之原養護学校に戻られますが,やはり福山高校になくてはならない惜しい人材を失うことになります。終業式で生徒指導主任として話をされたこともあってか,この日は多くは語られませんでしたが,近くの牧之原養護学校勤務ということで,これからも福山高校のことは気に掛けてくださるだろうと思われます。
英語科の近藤美香先生は,何と10年間も福山高校に勤務されました。10年前福山高校に赴任された当初は,まだ普通科2クラスで農業土木科もあり,学校全体で10クラスで200人を優に超える生徒がいたそうです。普通科が1クラスになり,農業土木科が閉科になるなど,徐々に学校が小さくなっていく現実を見てこられました。それでも,福山高校に対する愛着は人一倍強く,後半は特別支援教育に熱心に取り組み,様々な問題を抱えた生徒たちを親身になって支えてくださいました。今回の異動で,奄美大島の大島北高校へ異動となられました。福山高校と同じような小さな学校ですが,おそらく再びそこで大きな力を発揮してくださるだろうと思われます。
商業科の西村和昭先生は定年退職を迎えられましたが,4月からは以前勤務されたこともある串良商業高校におかれまして,再び商業教育に心血を注いでくださいます。先生は,時間というものは毎年変わらないように思われるけれども,年齢を重ねてくると同じ1年が大変短く感じられるものである,だから時間というものは大切にしなければならないと言われます。そして,ご自身2回も大きなケガや大病を経験され,そこから学んだ健康,命の大切さを生徒たちに強調されます。生徒たちは,西村先生の意外なご経験に心を熱くしていたようです。
商業科の恒松勇貴先生は昨年度の9月より1年7か月に渡り,福山高校にご勤務いただきました。商業科の生徒の検定指導等,度々夜遅くまで頑張っていただきました。自分ほど心の熱い商業教員はいない,と豪語されます。あれ,恒松先生ってこんな教師だったかな・・・。そうかと思うと,十分に生徒たちの力になれたかなと素直に反省されます。商業検定以外にも夢プラン係や安全点検の仕事など,常に前向きでしっかりとした仕事をしてくださいました。恒松先生が情熱の人であったことは間違いありません。年齢が生徒たちに近い分,より親しみを持って,生徒たちも接していたようです。恒松先生の商業教育人生もまだまだこれからです。まず他県に出て,商業教育を学び,商業教育の仕事を引き続き行われるそうですが,近い将来再びさらにパワーアップした商業教員として私たちの近くに帰って来てくださるかもしれません。
養護教諭の有薗桃香先生は,2年間福山高校にご勤務いただきました。この先生は,保健室の先生というそれだけに飽き足らず,生徒たちと一緒に花壇の手入れをしたり,ミニトマトの栽培をしたり,そして生徒の服装や出席状況などの生活面にまで事細かに心を配ってくださいました。生徒たちが学校でケガや病気をしないで過ごし,そしてまた翌日は元気に登校してくる,それが一番だと言いながら,積極的に生徒の心配事相談にも応じて来られました。一見クールでつんと澄ましたキャリアウーマン風でありながら,その実誰よりも面倒見のいい心の熱い先生でした。
事務室の岩上成美先生もこの3月で定年退職です。事務室のご意見番として,多くのことを教えられた職員も少なくはないと思われます。いかなる過ちも許さない確かな仕事ぶりは全職員の信頼を集めていました。お話の中で,先生は「泣こかい,飛ぼかい,泣こよかったひっ飛べ」という言葉を生徒たちに贈られます。「西郷どん」でも有名になった,昔から鹿児島に伝わる,まさに鹿児島を象徴するような言葉です。あの時こうすれば良かったと後で後悔するような人生ではなく,まずは思い切って行動することが大切だということです。長年の先生の仕事ぶりの一端が窺えます。岩上先生はステージの上から最後にもう一度「泣こかい,飛ぼかい,泣こよかったひっ飛べ」と一際大きな声で生徒たちに呼びかけられました。生徒たちはきっとこの言葉を忘れることはないでしょう。先生は4月からは霧島高校でさらに事務職員として力を発揮されます。
図書の拾三原彩佳先生は,5年間福山高校の図書館でご勤務いただきました。4月からは新規採用として鹿屋高校で新たな一歩を踏み出されます。拾三原先生は,生徒たちに本に親しんでもらおうと,図書館便りを定期的に発行し,特にこの2年間はビブリオバトルを開催し,すっかり福山高校に定着させてしまわれました。図書委員の生徒たちを上手に指導し,ビブリオバトルへの参加者が不足するときは,生徒図書委員長をその気にさせて,見事にビブリオバトル開催へと導かれました。先生方の参加もあり,ビブリオバトルは完全に福山高校の一大行事の一つになっています。鹿屋高校でも,きっと活発な仕事をしてくださることでしょう。
この他,非常勤として,保健体育科の岩田富男先生,音楽の吉村奈緒子先生,美術の兒島幸江先生,特別支援員の徳永歩先生,進路補助員の佐々木ひとみさん,以上5名の方々も今年度で福山高校を後にされます。14名の先生方,福山高校のためにご尽力くださりありがとうございました。これからも福山高校を見守り応援してください。