公開日 2018年05月27日(Sun)
5月27日(日)ほととぎす 鳴きつる方を 眺むれば ただ有明の 月ぞ残れる。そう,ホトトギスはウグイス同様なかなか姿を見せてくれません。それなのに,鳴き始めたら,なかなか鳴きやめず,とことん鳴きますから,ウグイス同様自己顕示欲は強いのだろうと思います。そもそも彼らは人に自分の喉を聞かせてやろうなどとは考えていないのでしょう。次第にホトトギスの鳴く時間が長くなってまいりました。今日は,1235年小倉百人一首が藤原定家によって完成された日なんだそうです。定家の書「明月記」にそうあるそうですから,多分そうなのでしょう。冒頭の句は,後徳大寺左大臣という方が作った百人一首81番目の歌です。非常に分かりやすい歌です。ホトトギスの声とその後の物言わぬお月様との対照が実に鮮やかで,聴覚的に優れていると言えるのではないでしょうか。視覚的にも,お月様がぽつんと空に掛かるだけという潔さが素敵ですが,実に音楽的な名歌なのだと思います。小倉百人一首,もう一度しっかり味わってみようかな・・・。
大方の(?)予想通り,昨日南九州は梅雨入りしたそうです。梅雨とはよく言ったもので,肝付町の自宅の庭には梅がたくさん落ちています。なるほど,梅の季節の雨なんだ・・・。今さらという気はしますが,毎年見られる光景です。今年は梅雨入りが早かった分,さらに絶妙のタイミングだったかも知れません。今日は早くも梅雨の中休み(?)でしょうか。このような日和を本当は五月晴れと言うのだそうです。梅雨時の晴れ間のことなんですね。
『老犬コロの繰り言その108』です。百人一首と言えば,犬が出てくる歌が一つもありません。鹿や鳥はやたら出てくるのに,猫も出て来ないのです。枕草子には,犬や猫が出てくるそうですので,平安時代から犬や猫はいたはずです。やはり,犬や猫では品性がないから歌にならないのでしょうか。我が家の老犬も品性ということに関しては,絶望的なように思われます。
老犬コロの繰り言その108 |
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随分なことを言うてくれるじゃねえか。猫は確かにどうしようもねえが,わしのどこが品性が欠けておるんじゃ。この上品な佇まいを見てくれ。背中の毛の色の濃淡も実に奥ゆかしいじゃねえか。実際にはわしは自分の背中見たことねえんじゃが・・・。顔だって,そこそこ整っておる方じゃろ。人間と違うて,鼻筋も通り,耳だってある程度自在に動かせるぞ。黙っておけと言われたらいつまででも黙っていられる。声だって,そんなに不快感を与えるものでもないじゃろ。むしろ,わしの場合,年取って渋みも出て来ておるじゃろ。十分に鑑賞に堪えられると思うがいかがかのお。じゃが,今となっては,定家も業平も小町もおらんからのお。わしらには,暢気に歌を詠むそんな習慣はねえしな・・・。ま,百人一首なんてどうでもいよ。ただ,鹿やホトトギスなどよりも品性に欠けるなんてことだけは言うてくれるなよ。 旦那は,わしの衰えぶりをしばしばからかってくれるのじゃが,旦那の老化現象も相当なものなんじゃ。先日もスーパーで突然話しかけられた中年女性が誰なのかさっぱり見当が付かなかったようじゃ。相手の女性は,旦那の高校時代のクラスメイトらしかったのじゃが,旦那の様子に呆れて名前も名乗らず,家に帰って卒業アルバムを見な,と捨て台詞を残して行ったということじゃ。旦那が自宅で卒業アルバムを捲ると,果たしてその女性の高校時代の写真があったのじゃ。ものの5分もしないうちにすぐに見つけたのじゃ。高校時代女の子とは余り口を利かなかった旦那じゃったが,その女性は当時ぽっちゃりしていて,旦那がたびたびからかっていた数少ない交流のあった女性ということじゃ。失礼な奴じゃ。とにかく旦那の人の名前を忘れることと言ったら,際限がないんじゃ。まあ,名前なんかあるから始末に困るんじゃろうが,旦那の場合は名前だけでなくその人自身のことをさっぱり思いつかないことも多いんじゃ。また,近頃旦那は車を運転している最中に時折自分がどこを走っているのか分からなくなる瞬間があるそうじゃ。その症状はわしよりもひどいじゃろ。若年性アルツハイマーという奴じゃ。脳みその使い方を間違うておるからじゃ。数年前は朝目が覚めたとき自分がどこに居るのか分からなくなり,パニックに陥ったこともあるようじゃ。いよいよ来るときが来たんじゃ。年貢の納め時,焼きが回ったっていうやつじゃ。ナンマイダブナンマイダブ・・・。 この続きはまたの機会に・・・。じゃ・・・。 |