6月3日(日)ビゼー,J.シュトラウス2世,カフカ,そしてクリュイタンスの亡くなった日・・・

公開日 2018年06月03日(Sun)

 6月3日(日)きっと「ムーミン(63)の日」なんだろうなと思ったら,果たしてその通りでした。ただし,「元ムーミンの日」です。さすがに国際的には通用しないということで,作者のトーベ・ヤンソンの誕生日である8月9日が今では「ムーミンの日」なんだそうです。インターネットをブラウズィングしていたら,物凄い日であることが分かりました。作曲家のビゼー George Bizet (1838-75)とJ.シュトラウス2世 Johann Strauss II (1825-99) の亡くなった日だったのです。ビゼーと言えば,歌劇「カルメン」ですが,劇音楽「アルルの女」と言い,管弦楽曲としても親しまれているピアノ連弾曲「子どもの遊び」など,美しいメロディラインが天才的です。単に美しいだけでなく,人生の悲哀とノスタルジーを感じさせるような,心にじんとくるような旋律です。音楽史上最高のメロディメイカーと言ってもいいでしょう。J.シュトラウス2世はお父さんも「ラデツキー行進曲」などで有名な一流音楽家ですが,息子の2世の方はまさに「ワルツ王」です。ワルツ「美しき青きドナウ」や「ウィーンの森の物語」,「春の声」など傑作が目白押しですし,喜歌劇「こうもり」も素敵です。そして,ベルギー出身ですが,主にフランスで活躍したのでフランスの指揮者という印象の強い名指揮者アンドレ・クリュイタンス André Cluytens (1905-67) の亡くなった日でもあります。カラヤンと同じ時代に活躍した人ですが,比較的若くして亡くなったのが残念です。ビゼーはもちろんドビュッシーやラヴェルの演奏は絶品です。フランス的と言えば,上品でエレガントで,一見ふわふわして掴み所がないという印象がありますが,クリュイタンスの指揮はそのような表面的な上辺だけの美しさを狙ったものではなく,どちらかと言えば,通常の演奏よりも野暮ったく感じられる瞬間もある,意外と熱い演奏です。フランスは農業国ですからね。シャンゼリゼだけがフランスではありません。ビゼーの鄙びたメヌエットをたまらなく切なく演奏する一方で,野性味溢れるファランドールやカルメン前奏曲,セギディーリャをどこまでも情熱的に演奏します。間違いなく大指揮者です。クリュイタンスとビゼーが同じ日に(年は違いますが)亡くなっていたとは意外ですが,絶妙な神様の悪戯だと思います。そして,フランツ・カフカ Franz Kafka (1883-1924) の名前を発見しました。「審判」や「城」,「変身」で有名なドイツの作家ですが,この日に亡くなっていたのですね。村上春樹の「海辺のカフカ」のカフカはもちろんこのカフカから取られたものでしょう。人間の深層心理に潜む,幾分歪んだ世界。カフカの「変身」は比較的読みやすいので,一度読んでみられたら・・・。

 『老犬コロの繰り言その110』です。先日訳あって肝付の自宅に帰り,翌日早朝牧之原に引き上げるとき,老犬は目は覚ましていましたが,起き上がろうとはしませんでした。どうせ,またお出かけでしょ,みたいな顔つきで,じっと横になったままです。夜の間犬小屋周辺を歩き回り,疲れていたのかもしれません。鼻の頭を触ると,ひんやりした感触が心地良く感じられました。老犬は元気なんだろうと思います・・・。

 
老犬コロの繰り言その110
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 わしが溝にはまり,往生する前,集落内を歩き回っていた時の写真のようじゃ。あれから,旦那はわしを視察に連れて行こうとはしなくなった。わしの世界は家の敷地内だけになってしもうた。確かに,1キロ以上歩くのはしんどいような気もする。じゃが,それがわしらの仕事なんじゃがのお。何のために生きているのやら・・・。

 旦那は教育学部に所属しておったのじゃが,多くの仲間たちに助けられていたのじゃ。旦那を支えていたのは,垣内の婆さんだけではなかったのじゃ。旦那は至ってマイペースな性格で周囲の波長に合わすのが苦手である。それは今も変わらない。所属する英語科のある教育学部棟には,2年生の後半から移ったようじゃが,急に知らない人が増えて,旦那は狼狽したのじゃ。お酒も苦手な旦那はもちろん20歳を過ぎても,英語科の飲み会に足が向くことはなかったようじゃ。大学4年生の卒業の時,追い出しコンパにだけは是非来てくれと後輩に言われ,仕方なしに出たくらいじゃ。そんな旦那を友人たちはよく助けてくれたようじゃ。教育心理学科の松本君はまさに救世主とも呼ぶべき人で,大学の学生会館がLPレコードを15%引きでセールを行っていた時,旦那は松本君に2万円借りて10枚以上まとめて購入したこともあった。松本君の場合,ちと過保護が過ぎる面があったようじゃ。旦那が土曜日の英作文の講義の単位取得が危ないということを聞いた旦那の友人の大橋君の友人の福井君は,土曜日の朝旦那の下宿まで車で乗り付けて旦那を大学まで連れて行ったこともあったそうじゃ。福井君は,旦那の住む西宮とは神戸を挟んで反対側の明石か加古川の方に住んでいたはずじゃから,大学のある神戸を通り過ぎて,わざわざ旦那を迎えに来てくれていたことになる。福井君というのは,友だちの友だちじゃから,それほど親しかったわけではなかったのじゃが,非常に情の厚い男だったということじゃ。旦那は何故福井君がそこまでしてくれたのか,よく分からなかったようじゃ。余りにも申し訳なくて,旦那は福井君にちゃんと英作文の講義に出ると誓ったそうじゃ。金曜日の夜の家庭教師のアルバイトの終了が遅く,そのくせ下宿に帰るとしばらく音楽を聴くものじゃから,土曜日の朝はきつかったようじゃ。ただの甘えじゃ。福井君が何学科だったのか,それさえも旦那は覚えておらんようじゃが,教育学部と言うこともあり,そのような世話好きな学生が多かったということじゃろう。さすが教師の卵たちじゃ。神戸周辺の都会育ちの若者たちじゃったが,都会的な擦れた性格の学生が旦那の周囲にはおらんかったようじゃ。むしろ旦那のような田舎者の方が,旅の恥はかきすてというのじゃろうか,妙に背伸びして世慣れた風を装う嫌な奴が多いんじゃ・・・。旦那はその最たる物じゃ・・・。

 この続きはまたの機会に・・・。じゃ・・・。