12月3日(日)『欲望という名の電車』の初演の日・・・

公開日 2017年12月04日(Mon)

 12月3日(日)は何の日だろうと,インターネットで調べてみると,物凄く多くの著名人が誕生した日であることが分かりました。黒田長政,ジョゼフ・コンラッド,片山潜,永井荷風,種田山頭火,火野葦平,14代沈壽官,篠山紀信,今いくよ,山内新一,オジー・オズボーン,イルカ,・・・実はまだまだあるんです。大変な日です。音楽好きにとっては,アントン・ウェーベルン Anton Webern (1883-1945)を忘れてはいけません。20世紀音楽を難しくした張本人の一人です。この人の後,美しい旋律の音楽は,二流扱いされるようになりました。これが現代音楽だ,どうだ分からねーだろというような音楽です。学生時代20世紀音楽はこうでなければ,と一人部屋に籠もり意味不明の優越感に浸っていたのが愚かしくもかつ懐かしく思われます。10分足らずの交響曲やパッサカリア,弦楽四重奏曲などはそれなりに楽しめます。実は,この日は「ロミオとジュリエット」や「太陽がいっぱい」などの映画音楽で有名なニーノ・ロータの誕生日でもあります。ウェーベルンとは正反対の作曲家ですが,この人も交響曲のような真面目な(?)作品を数多く残しています。余りにも分かりやすい,親しみやすい音楽を書きすぎたためか,イタリアを除き,世界的に評価されることはありませんでした。果たしてこれから先,ロータ・ルネッサンスが起こるのかどうか・・・。個人的にさらに,この日見逃せないのは,テネシー・ウィリアムズの戯曲「欲望という名の電車」A Streetcar named Desire が初演された日だということです。T. ウィリアムズという表記を見かけた時,往年の名大リーガー,テッド・ウィリアムズ,最後の4割打者,を思い浮かべてしまったのが今にすれば可笑しく思われます。テッド・ウィリアムズは作家でもあったのか・・・まさか・・・。テネシー・ウィリアムズは間違いなく20世紀を代表する劇作家だと思います。もう,アメリカのなんて言葉を付け加える必要はないでしょう。「灼けたトタン屋根の上の猫」や「ガラスの動物園」とともに「欲望という名の電車」は病んだ現代社会,現代人の苦悩というものを鮮やかに描いています。残念ながら劇場で見たことはありませんが,文庫本で読んでも十分に堪能できる,心の琴線に触れる名作です。

 『老犬コロの繰り言その55』です。老犬について語るべきことは次第に無くなりつつあります。幸い老犬は中型犬と言っても,小型犬に近いので,足腰はかなり弱くなりましたが,もうしばらくは生きてくれそうに思います。どうにか4本の脚が身体を支えてくれています。特に,寝起きの時は4本の脚がばらばらで,それぞれ別の意思が働いているのではないかと思われるくらい,滑稽に見えるのですが,そのうち通常の歩き方に戻っていきます。それでも道行く人には,脚が悪いことはすぐに気付かれてしまうのですが・・・。

 
老犬コロの繰り言その55
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 せっちゃん以外にも少し年の離れた子なら旦那の2人の兄を含めて集落内には結構いたようじゃ。ある時,せっちゃんと旦那は,そのような年上の子どもたち,と言っても小学校3年生くらいか,彼らと一緒に戦争ごっこをすることになったそうじゃ。太平洋戦争から20年ほど経っておったが,コンバットを初め,戦争映画やドラマは多く,子どもたちの間でも戦争ごっこは大流行だったらしい。旦那とせっちゃんは4,5歳で殆ど小学生には相手にされることはなかったのじゃが,戦争ごっこだけは大人数を必要としたようじゃ。2チームに分かれて,戦いは始まるのじゃが,不思議な現象が起きたのじゃ。旦那が敵の兵隊を見つけて,木の棒を銃に見立てて,「バン,バーン。」とやっても敵には少しも命中しなかったそうじゃ。ところが,相手が小さな声で「ピュッ,ピュッ。」とやると何故か弾は旦那の脚かどこかに当たり,すぐに捕らえられ捕虜にされたのじゃ。旦那は何故自分の弾は当たらないのに,敵の弾はすぐに当たったのだろうと不思議に思ったそうじゃ。弾が当たったかどうかは,年上の子どもが決めるという物凄い不平等なシステムになっておったのじゃ。旦那とせっちゃんはそうとは知らずに大きな声で「バン,バーン。」とやるものだから,すぐに敵に見つかり敵の巧妙な(?)射撃の餌食になったのじゃ。年上の敵の兵士は,「バン,バーン。」とはやらずに「ピュッ,ピュッ。」と周りに気付かれないように銃を撃っていたのじゃ。戦争ごっこでは毎回せっちゃんと旦那は捕虜要員だったのじゃ。最初そのことに,素直な旦那は全く気付かなかったというから,呆れて物が言えない・・・。

 旦那はそもそも戦争ごっこなどという乱暴で野蛮な遊びは好きではなかったのじゃ。テレビのコンバットもどちらかと言うと怖いので,なるべく見ないようにしておったのじゃ。ところが,並外れて超自然的(?)な怪獣ごっこは好きだったというからよく分からん。もちろん,ウルトラマンやウルトラセブンは大好きじゃった。その前に放送されていたウルトラQは少し怖くて一人で見ることはできなかったようじゃ。所詮,旦那はその程度のものだったのじゃ。捕虜になってしかるべきってとこじゃ・・・。

 旦那がせっちゃんと同じ小学校に入学すると,旦那とせっちゃんの交流は復活するかと思いきや,全く話をすることがなくなったと言う。あれほど毎日仲良く遊んでいたのに,小学校1年生と2年生の壁というものは,それほど大きなものだったのか・・・。それぞれに新しい交友関係が生まれていたということじゃろうが・・・。

 この続きは,またの機会に・・・。じゃ・・・。