11月25日(土)憂国忌・・・

公開日 2017年11月25日(Sat)

 11月25日(土)今日はどんな日なんだろうと,調べてみると,「憂国忌」という言葉が出て来ました。作家三島由紀夫がわずか45歳で,1970年昭和45年東京の自衛隊市ヶ谷駐屯地で割腹自殺をした日のようです。「憂国」というのは,三島由紀夫の作品の一つです。三島由紀夫という人は,日本のそして日本人のあるべき姿について,誠実に考えた人であることは間違いなかろうと思われます。しかし,45歳で命を絶たねばならないほど,国家というものは大切なものだったのでしょうか。当時の日本という国の状況に彼が憂えていたのは確かでしょうが・・・。小説の中で,もっともっと日本人としての生き方について三島由紀夫なりの考え方を訴えることができたはずです。彼が若くして命を絶ったということは残念でなりません。「潮騒」の若々しい生命力の謳歌,「金閣寺」の魂の気高さ,「仮面の告白」の同性愛の自覚と悲劇・・・現代社会に生きる我々にとって,大切なテーマが目白押しです。彼が生き延びていたら,21世紀へ向けて,三島由紀夫がどのようなメッセージを綴っていったか,興味は尽きません。とにかく今日は偉大な作家の命日です・・・。

 『老犬コロの繰り言その52』です。朝寒いせいか,老犬は目覚めが遅くなっているようです。犬小屋の前で,リードとふんキャッチャーを少々カタコト言わせたぐらいでは起きてくれません。一端目が覚めてしまうと,老犬は慌てて犬小屋から這い出してきます。リードが付けられたか付けられないか,まだはっきりしない段階で老犬は覚束ない足取りで駆け出します。ちょっとユーモラスに見えるのですが,老犬にしてみたら必死です。家の敷地の外に出たくらいで,ようやくいつもの足取りに戻ります。決して元気な足取りとは言えませんが・・・。

 
老犬コロの繰り言その52
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 以前能面の話をしたと思うが,考えてみたら能面そのものには内に秘めた心の世界などというものはないはずじゃ。能面を見た側が,その能面の内面について想像する感情があるのじゃろう。散歩いや視察をしながら,旦那はじっとわしの後ろ姿を見つめておるのじゃ。その時,わしの姿に対して感じるものが,この「繰り言」じゃ。わしは,頑固で我が儘で融通の利かない年寄りに仕立て上げられておる。おまけに,臆病で小心者と来ておる。わしは本当はそんなんではないのじゃ。わしの心の中には,そのような複雑な感情などないのじゃ。先の性格は全て旦那自身ではないか。いいようにわしは利用されておるのじゃ。わしの心の中にある世界と旦那がわしを見て感じる心の世界は随分異なるのじゃ。わしは,本当は真面目一筋で,素直な生き物なのじゃ。冗談一つ言うたことがない。

 この間視察中自宅まであと200メートルくらいの所まで来たとき,つまりその時わしは2キロ以上歩いてきて疲労困憊なのじゃが,カーブの所に部分的に網状になった所があった。気の利かない旦那はわしがその網状の所を通るように仕向けたのじゃ。あれはきっとわざとじゃ・・・。視察の前半で元気のあるときは,わしは余裕で(?)その網状の所を避けて溝の蓋の上を歩くのじゃが,その時はわしは思わずその網状の所を飛び越えようとしたのじゃ。すると,わずかじゃが,後ろ足が網の上に触れたのじゃ。旦那はそれを見て,「やはりお前は頭が悪いな。そこを避ければいいじゃないか。」と言いおった。さらに,「そもそも網の上を普通に歩いても全然問題ないんだけどな・・・。」と抜かしやがる。へん,別にわしは自分がそんなに賢いとは思っておらんが,わしにはわしの流儀というものがあるんじゃ。それが,生き方というものじゃろ。人(犬?)にはそれぞれ生き方があるんじゃ。そのやり方が正しいとか間違っているとか言われるのは迷惑なんじゃ。ただの頑固じじいだって?旦那が言わせているくせに・・・。

 この続きはまたの機会に・・・。じゃ・・・。