3月11日(日)東北大震災から7年になります・・・

公開日 2018年03月11日(Sun)

 3月11日(日)東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)から7年目を迎えます。2011年の3月11日の昼過ぎ,志布志高校の英語科職員室で8月にスコットランドからやって来た1年目のALTが,「大きな地震が起きている・・・。」と呟きます。「日本ではよくあることなんだよ。」と,震度3,4レベルの地震だろうと思い,また日本に来ていろいろ不安な思いをしているALTを心配させないようにと考えて,私はそう言ったのでした。1995年の阪神大震災から16年が経っていましたが,そんな短い周期では大地震は起きないだろうという浅はかな素人考えがあったのです。高校入試の処理の最中で忙しかったということもあります。ところが,夕方になり,事の重大さを知り愕然としてしまいます。そのALTは8月初めに志布志へやって来たとき,松林の蝉の大音量の歓迎を受けます。彼女は「これは何?」と怯えます。北国のスコットランドには,彼女によると,蝉はいないのだそうです。志布志高校のすぐ隣の松林のそばの通称「チロリン村」と呼ばれる1戸建て住宅に,4軒が点在する所の1つに住むことになったのが不運だったのかも知れません。翌日学校へやって来た彼女は,腕のあちこちピンク色に腫らしています。どうやら白人の彼女の白い肌を忌々しい蚊たちが襲撃したようです。急いで彼女を近くの薬局に連れて行き,薬と mosquito killer (蚊取り器)を購入させました。mosquito killer は1個でいいと言うのに,彼女は3部屋あるから3つ買うと言って譲りません。1個のmosquito killer を自分が移動するときに持ち運べばいいじゃないかと言うのですが,彼女は家中の蚊を絶滅に追い込みたかったのかも知れません。古い住宅なので,おまけにすぐ隣が松林なので,次から次に新たな蚊の軍隊が押し寄せてくる環境であったのですが・・・。彼女は3つ購入してにんまりしています。mosquito killer が彼女には珍しく興味津々だったのでしょう。それからも彼女は,ゴキブリやムカデ,ナメクジなどの日本の恐るべき害虫に悩まされたのかも知れません。彼女は1年で日本を去ることを決意し,契約の延長はしませんでした。ところが,その彼女が7月末に契約が切れる間際には志布志に残りたいという気持ちを漏らします。しかしながら,すでに次のALTが来ることになっていたので,彼女の契約は切れてしまいます。彼女は結局スコットランドには帰らずに,震災のあった福島へ行くことにします。自分の故郷と似た気候に何らかのシンパシー(共感)があったのかも知れません。その後彼女がどうなったのか,詳しいことは聞いておりませんが,元気でいてくれればいいと思います。ひょっとしたら今も福島のどこかで震災復興のお手伝いをしているのかも知れません。2011年3月11日。私たちはこの日を忘れてはなりません。7年経って未だに東北の地に足を踏み入れていない自分に対して,情けない思いもあります。東北大震災とスコットランドからやって来たALT,切り離して考えることはできません・・・。

 『老犬コロの繰り言その85』です。7年前老犬はまだ8歳になる直前で,十分に若く男盛り真っ只中だったろうと思います。その頃は毎日肝付の自宅から通勤していたので,朝夕毎日顔を合わせていました。散歩の方は平日はさすがに難しく大抵土日朝夕のどちらか1回きりでした。なので,散歩の回数そのものは現在よりも少ないということになります。庭の中をいつも駆けずり回ったり,裏山へ駆け上がったりしていましたので,運動量は現在よりはるかに多かったろうと思われますが・・・。

 
老犬コロの繰り言その85
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 垣内春さん(1900-1985)は旦那が大学を卒業した年の6月2日亡くなってしまわれた。旦那が鹿児島へ帰ってから2か月ほどしか経っておらんかった。旦那が大学4年生の途中から,春さんの所には旦那の6歳年上の兄も転がり込んできていた。訃報はその兄から聞いたものであったのじゃ。そんなに悪かったんだ,旦那は今さらのように驚き,そして泣いた。すぐに甲陽園へ駆けつけたかった。じゃが,仕事の関係で週末を待たざるを得なかったのじゃ。土曜日の午後大阪へ飛び,春さんの墓前に花を手向け,線香を上げた。涙が止まらなかった。大学4年生の後半自分のことばかり考えて,春さんにきちんと向き合ってあげなかったことを後悔したのじゃ。春さんの息子さんの所の仏壇にも手を合わせに行った。ひょっとしたらこちらが先だったかも知れない。ここでも旦那は泣いた。旦那の兄は別として,春さんにとって旦那が殆ど最後の下宿人であった。年を取ってこられたこともあり,一際可愛がってくださっていたことを息子さんの奥様からも聞いた。旦那は自分の人生にとって大切な人を一人失った。じゃが,旦那の心には春さんとの掛け替えのない暖かい思い出が残されておるのじゃ。旦那は幸せとも言えるじゃろ・・・。

 そう言えば,先程仏壇と記したが,春さんはカトリックのはずじゃ。じゃのに,春さんの息子さんの家には仏壇が置かれ,お墓も通常のお墓で線香を供えるようになっておったと旦那は記憶しておる。宗教ということに対して大らかな日本的な習わしであろうか・・・。それから後も旦那は2,3回墓参りをしておるが,そのたびに広大な墓地の入口で花と線香を買い,垣内家の墓まで多分数百メートル歩いたのじゃ。春さんだけカトリックで,垣内家自体は仏教だったのかも知れないのお。旦那はそういうことも余り考えずに墓参りしておったようじゃ。この神をも怖れぬ不信心者めが!わしらもそうじゃけど・・・。旦那は自分の両親の仏壇にも殆ど線香を上げたことがないくせに,よくもまあ春さんの仏壇には線香を上げられたものじゃ。まあ,1度だけじゃけど・・・。みんながやるからやるぐらいの意識しかないんじゃ。じゃが,春さんに対する思いは本当じゃろう。旦那が亡くなったら,わしが旦那のお墓に線香を上げてやるよ。南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏・・・。「吾輩は猫である」の名もなき猫は,ビールを飲み過ぎて壷か何かに落っこちて,わずか2歳で死んでしもうた。奴は,ちと人間の世界に首を突っ込みすぎたんじゃ。旦那との付き合いもほどほどにしないといかんな・・・。

 この続きはまたの機会に・・・。じゃ・・・。