3月25日(日)バルトークって知ってますか?

公開日 2018年03月25日(Sun)

 3月25日(日)早朝は幾分肌寒さを感じますが,間違いなく今日も昨日に続いて完璧な日になりそうです。3月25日は,ハンガリーの大作曲家バルトーク Béla Bartók (1881-1945) の生まれた日です。バルトークと言ってもご存じでない向きが多いかも知れませんが,そうなのです,大作曲家なのです。ドイツ3大Bと言えば,普通バッハ,ベートーヴェン,ブラームスを指すのですが,ブラームス嫌いの人が一部にいて,バルトークとできることなら取り替えたいという人までいるくらいです。代表的な作品は,6曲の弦楽四重奏曲やヴァイオリン協奏曲,弦楽器,打楽器とチェレスタのための音楽,管弦楽のための協奏曲あたりになるのだろうと思います。弦楽四重奏曲はやや難解ですが,現代音楽はこうでなければという不思議な満足感は与えてくれます。十分に楽しめて,それでいて深みがあるのは,弦楽器,打楽器とチェレスタのための音楽と管弦楽のための協奏曲でしょうか。いっぱい楽器が出てくる分,様々な響きやリズムを堪能することができます。ハンガリー語が話せなかったリストと異なり,バルトークはハンガリーを中心とした民族音楽の研究を行い,ルーマニア民族舞曲(傑作です・・・)のような民族色の濃い作品も残しています。先程挙げた作品はそのような民族音楽の世界をはるかに越えて,普遍的な世界にまで昇華した芸術作品と言えるでしょう。大栗裕など日本の作曲家にも大きな影響を与えていると思います。映画音楽「ゴジラ」で有名な伊福部昭は晩年のバルトークは嫌いだと言っていますが,素人目(耳?)にはかなり近い世界のように思われます。土俗的な初期のバルトーク,真に独創的な世界に突入した中期以降の芸術性溢れるバルトーク,いずれも魅力的だと思います。是非聴いてみてください。なお,この日は大指揮者トスカニーニ Arturo Toscanini (1867-1957) の生まれた日であり,フランスを代表する大作曲家ドビュッシー Claude Debussy (1862-1918) の亡くなった日ということです。音楽史にとって大切な日なんです・・・。

 『老犬コロの繰り言その90』です。老犬は相変わらず庭のあちこちにウンチを落としています。自分が眠る小屋の中にも平気でウンチをする気持ちが理解できません。地球をトイレと思っているのかも知れません。以前は,散歩の途中で2回は必ずウンチをするという風に,きちんとウンチの回数を計算してマーキングに使っていた節があるのですが・・・。

 
老犬コロの繰り言その90
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 地球がトイレか。うまいことを言うな。あながち間違ってはおらんぞ。わしの城(小屋?)周辺のわしの大切なウンチを旦那は片っ端からシャベルで拾って畑の隅に埋めてしまうんじゃ。そんなにわしのウンチが欲しければ,いくらでも出してあげるのに・・・。まあ,わしらにとっては地球がトイレ,そういうこっちゃ。確かに以前は視察の途中でマーキングに使っておった。じゃが,最近は自分でもいつウンチが出るのか,分からんのじゃよ。じゃからと言って,お漏らしとは違うぞ。わしらにとってウンチというのはそんなに汚いものではないのじゃ。自分の身体の中から出て来たものじゃのに,それを汚いと思うのはおかしいじゃろ。わしらのウンチは人間のウンチほど臭くはないしな・・・。何?十分に臭いって?道に転がっているウンチにしても,人間の鼻には大して匂わんじゃろ。わしらはこれは誰のウンチじゃとちゃんと区別しておるのじゃ。じゃから,完全に無視して素通りするものもある。新参者のウンチはちと注意する必要はある。それに今さらという気はするが,雌犬のウンチも注意する。フロイトの言うリビドーってやつじゃな・・・。おっとはしたない・・・。とにかくウンチはわしらにとって大切な物なんじゃ・・・。

 わしにとって地球がトイレだとすれば,旦那にとっては地球はお椀だそうじゃないか。旦那はいつもご飯粒をぽろぽろこぼしたり,パンのかけらを落としたりして,奥様に叱られておるではないか。「あなたにとっては,地球がお椀またはお皿なの?ちゃんとお皿の上で食べなさい。」って言う奥様の悲鳴のような声がよく聞こえて来るぞ。聞こえないはずのわしの耳にまでも。地球がトイレというよりも,地球がお椀という方が,ほんの少しスケールは大きいようじゃの。視察の途中で立ち寄る,と言うより目的地と呼んでもいい桜公園には時折空き缶や菓子袋などのゴミが放置してあることがある。マナーというものを知らない人間もおると見える。そういう者にとっては地球がゴミ箱なんじゃろうなあ。情けない。パンのかけらとかご飯粒とか少しぐらい残しておくのがマナーというもんじゃろ。匂いだけ嗅がされても,わしのお腹は満たないんじゃ。忌々しいカラスの野郎が先に食ってしまったのかも知れんなあ。道路にも空き缶などが落ちておることもある。あれはウンチよりも始末に困るのお。ウンチは時期に土に返るじゃろ。空き缶はまず完全に土に返るということはないじゃろうな,うん千年もすれば分からないけれども。道端に放置するのであれば,わしらが食えるものを少しぐらい残しておくのが,まあ良識というものじゃろ。カラスや猫などとの争いが始まるかも知れんが,そん時はわしも男じゃ。老犬の名誉に懸けても,奴らの好きなようにはさせん。じゃが,耳が聞こえないだけでなく,最近は目も衰えてきて,鼻も少々いかれてるからのお。こりゃ,とんだドン・キホーテじゃの。ここは,サンチョ・パンサに任せるとするか。おい,サンチョ・パンサ!おい,旦那,あんたのことだよ・・・。

 この続きはまたの機会に・・・。じゃ・・・。