6月16日(土)ブルームズ・デー・・・

公開日 2018年06月16日(Sat)

 6月16日(土)はアフリカ子どもの日だそうです。1976年のこの日,南アフリカ,ソウェトで黒人学生によるデモ行進が暴動に発展したソウェト蜂起が起こりました。黒人学生にアフリカーンス語の学習を強制したのがきっかけのようですが,500人が亡くなる大惨事となったのです。アパルトヘイト撤廃はもちろん,アメリカを初め世界的に人種差別をなくそうという動きが起こっていた時代でした。あれから40年が経ち,未だに人種差別が地球上から完全になくならないのは残念でなりません。ブルームズ・デーという言葉を発見しました。アイルランドの作家ジェイムズ・ジョイス James Joyce (1882-1941) の名作「ユリシーズ」において,1904年6月16日の朝8時から翌日午前2時すぎまでの約18時間に18の挿話が展開することから,主人公の名前レオポルド・ブルームから「ブルームズ・デー」と呼ばれるようになったのだそうです。「ユリシーズ」はもちろん古代ギリシャの英雄オデュッセウスのトロイ戦争後故郷のイタケーへの帰還を描いたホメロスの「オデュッセイア」のパロディとして書かれたものです。プルーストの「失われた時を求めて」に並ぶ20世紀を代表する傑作であると評する人もいますが,「失われた時を求めて」と同じくらい非常に読みにくい作品です。意識の流れの文学と呼ばれる独特の表現に慣れるまで,ある程度我慢する必要があります。およそストーリーというものがなく,何気ない日常のエピソードの羅列・・・。それが意識の流れというものでしょうか。日本語訳でも4巻からなる大作ですが,1日にも満たない時間に起きた出来事なのです。1回読んだだけではよく分からない,けれども読み始めるためには大いなる決意を必要とする・・・死ぬまでにもう1回読んでみようか・・・どうせ読んでも分からないのだから,時間の無駄か・・・。厄介な作品です。10年ほど前,ジョイスの「ユリシーズ」を読むために,まずホメロスの「オデュッセイア」から取り掛かったのでした。予想に反して「オデュッセイア」は慣れるとそれほど難しくはありません。ただ,見たことはないけれども昭和初期の活劇を見ているような,そのような痛快さはありますが,さすがに文学的な深さはさほど感じられません。オデュッセウスはギリシャ語で,イタリア語だとウリッセ,それが英語になると,ユリシーズ。ジョイスの「ユリシーズ」には,もちろんユリシーズという言葉は出て来ません。タイトルだけです。ユリシーズの役回りを演ずるのが,ブルームなのです。タイトルが「ユリシーズ」でなければ,ブルームの何気ない日常,中年夫婦の倦怠期・・・と片付けられてしまいかねません。題名が「ユリシーズ」だから,作品の深みがぐっと増すことになるのです。イタリアの大作曲家モンテヴェルディには,「ウリッセの帰郷」という素晴らしい歌劇があります。フォーレの余り上演されない歌劇「ペネロープ」のペネロープとは,オデュッセウスの留守を守る妻の名前です。大した作品ではないと思いましたが,ホメロスの「オデュッセイア」は多くの音楽家や文人たちに影響を与えています。「オデュッセイア」に比べると,「ユリシーズ」はかなり難解です。「オデュッセイア」の筋書きに照らし合わせて,読んでいけば,きっと面白いのだろうと思います。とにかく今日は,「ブルームズ・デー」です。

 『老犬コロの繰り言その113』です。胸の苦しみに襲われて夜中に救急車で運ばれてから,1年が経とうとしています。もちろん老犬のことではありません。あの時は老犬は突然しがみつかれて,かなり動揺したはずです。でも,老犬は忘れるのも早いですから,と言うより,瞬間瞬間を生きていますから,殆ど記憶にはないでしょう。瞬間瞬間の出来事が一切いや殆ど蓄積されない老犬の頭脳・・・。でも,毎週末帰ってくるこちらのことはよく覚えているようですから,意外と記憶力はいいのかも知れません。ただ,抽象化されないから,知識とはならない・・・。

 
老犬コロの繰り言その113
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 よく言うよ。人間みたいに物事に名前をつけることがないから,確かに知識の蓄積はないかも知れんが,わしらは出来事や現象を全てそのまま記憶しておるのじゃ。理屈っぽく人(犬?)に伝える必要もないから,特に困ることもないのじゃ。じゃが,腹が減ったときは,しっかり意思表示するぞ。生きていくには,それで十分じゃ。わしらはそんなにややこしい生き方はしないのじゃ。書物的ではなく映像としてわしらの心にはたくさんの記憶が蓄積されておるのじゃ。

 教育実習が終わり,しばらくは旦那の生活は余裕があったのじゃ。じゃが,家庭教師のアルバイトがなくなったために入ってくるお金がなくなり,様々な仕事を経験しなければならなくなった。家庭教師の仕事にはいずれは見切りを付けたいと思っておったから,それほど未練はなかったのじゃが,時給ということになると全て分の悪い仕事ばかりであった。いろいろな仕事を経験してみようということで,先に話した中華料理店に始まり,コーヒーのアンケート調査や警備員の仕事など手当たり次第に挑戦してみたようじゃ。大多数が昼間の仕事となり,大学4年生になり受講しなければならない講義は減ったとは言え,水曜日2時間目のアメリカ文学特講に出席できないのは困ったようじゃ。いや,旦那は本当は大して困っておらんかったようじゃ。困ったのはやはりT本先生の方じゃ。で,この間話したようなことになったんじゃ。旦那が来なければ,アメリカ文学特講は休講・・・。旦那は卒業論文ぐらい一人で書けるさと髙を括っておったようじゃ。もちろん,後々随分苦労することになる・・・。A4サイズじゃったろうか,英語で50枚書けと言われておったのに,パソコンのない時代じゃったが,旦那と来たら英文タイプもろくに打てなかったのじゃ。じゃが,差し当たり旦那が苦しんでいたのは,音楽を聴けなくなったことじゃった。600枚のLPレコードを殆ど手放したために,ラジオのFMをカセットテープに片っ端から録音し始めおった。LPレコードの方は,この時期登場したCDに取って代わられようとしておった。じゃから,旦那はいち早くLPレコードを手放すこともできたのじゃ。旦那は出始めのまだ1枚4200円もしていたCDを,マーラーの交響曲第1番,クラウディオ・アバド指揮のシカゴ交響楽団の演奏を購入した。まだ,再生機器も持っていなかったのに,どういうつもりだったのじゃろう。先のことは考えない無計画ぶりは,わしのことなど笑っておれんぞ。とにかく,アルバイトに音楽に,そして大学に,それなりに忙しい大学4年生じゃったようじゃ。バブル全盛の時代で比較的景気のいい時代じゃったが,旦那は就職活動はしなかったようじゃ。辛うじて,鹿児島県の教員採用試験は受けた。駄目だったらどうするか,友人たちが修士課程を受験するというので,旦那もT本先生にお願いしたのじゃ。ところが,旦那はT本先生との約束を破り,修士課程試験をサボってしまうんじゃ。駄目だ,こいつは・・・。

 この続きはまたの機会に・・・。じゃ・・・。